こんにちは。アラカン主婦の霜月です。
よく「一生もの」って言いますよね?
高価なものを買う時に「これは一生ものですよ」とお店の人に勧められたり、自分でもそう思って買ったり。でも、一生って何年くらいのことを言うのでしょう。
今回は、私が一生ものだと思って買ったモノが、実際どうだったのかについて、書いてみました。
一生ものとは何か
20代の頃、「一生もの」と言ったら、品質が高く流行に関係ないものという認識でした。おばあさんになるまで使えて、しかも娘や孫にも伝えて行けるもの、みたいに思っていました。
でも、20代の頃に買って今でも持っているものは、ほとんどありません。
当時ファッション誌などを読み、「一生もの」という言葉に煽られて、ずいぶん多くのモノを買いましたが、今振り返ってみて、一生と言ってもせいぜい10年くらいなのかなと思います。
特に、バッグや靴、衣料品などは、どんなに高価でいい品物であっても、流行や年齢、サイズの変化によって、使わなくなってしまうものがあります。自分の趣味や価値観が、変わってしまう場合もあります。
娘や孫の代までと言っても、ライフスタイルや好みが違っていたら、どんなにいい品物でも使ってもらえません。
そもそも「一生もの」という言葉を使うのは、若い人です。40代以上の人が「一生ものだから」と何かを買うというのは、なかなか聞きません。
私が最後に「一生ものだから」と思って買ったのは何かなと思い出してみましたが、たぶん30代になったばかりの頃に買った高級鍋だったんじゃないかなと思います。重すぎて今は使っていませんが。
反対に、まったく一生ものと思っていなかったにも関わらず、処分しそびれて手元に残ってしまったガラクタたちもたくさんあります。
買う時には、一生ものだと思っても、そうでないものの方が圧倒的に多かったなと、この年になって感じています。
一生ものではなかったもの

ブランドバッグ
私が20代の頃は、ブランドバッグが大流行していた時代でした。
普通の女子大生が、グッチやヴィトンを持って学校に通っていました。今振り返ると、尋常じゃなかったなと思います。
私の場合は、学生時代はお金もなかったので、ブランドものを持つことはありませんでしたが、勤め始めてからは、自分のお給料でブランドバッグを買うようになりました。
プラダやフェラガモ、エトロなどが好きでした。でも、当時買ったバッグは、今はひとつも持っていません。
流行遅れになったり、痛んだり、使いづらかったり、理由は色々ですが、ブランドバッグといえども、私にとっては一生ものではなかったのです。
もしかしたら、私がブランドに見合った人間じゃないのかもしれませんが、普通の主婦の生活には、不必要なものでした。
今の私には、軽くてシンプルで使いやすいバッグが似合っています。
80代の母も、ずいぶんたくさんのブランドバッグを持っていますが、もうどれも使っていません。私にくれると言いますが、私も欲しいとは思いません。
子や孫までというのは、なかなか難しいです。
ブランド靴
靴にもずいぶんお金をつぎ込みました。
フェラガモやブルーノ・マリなどの靴を買っていました。でも、小さくて幅広甲高の私の足にはあまり似合わず、おまけによく靴擦れを起こしていました。
「おしゃれは足元から」の言葉を信じて、高い靴を履いていれば、オシャレな人と認めてもらえると思っていたのかもしれません。単に自分に自信がなかったのだ思います。
今は、軽くて柔らかくて履きやすい靴の一択です。
コート類
コートは長く着るから大丈夫だろうと思い、トレンチコートやカシミアのオーバーコートを買いました。
たぶん5・6年は着たかもしれません。でも、中年になってからはサイズが合わなくなり、結局手放すことになりました。
とはいえ、肩パッドが入ったバブル時代のコートは、シルエットが古くなってしまっていて、サイズ的には大丈夫でも着ることはなかったかもしれません。
高級な鍋
結婚して数年後に、ステンレスの鍋のセットを買いました。確かに高品質な鍋ではありましたが、とにかく重くて使い辛かったです。
最初の頃は、うれしくて色々なお料理を作っていましたが、だんだんと使わなくなりました。今は全部手放してしまいました。
実家にも同じような鍋のセットがありますが、やはり母も使っていません。実家の鍋は、まだ箱に入ったままでした。
高級だから、いい品物だからといって、自分のライフスタイルに合うとは限らないと知りました。
ブランド食器・カトラリー
結婚してから、インテリアやテーブル・コーディネートに興味を持ち始めたこともあり、洋食器をコレクションし始めました。
ウェッジウッド、ヘレンド、リチャード・ジノリ、ロイヤル・コペンハーゲンなどです。実用的ではありませんが、持っているだけで楽しいと思えるものでした。食器に合わせて、クリストフルのカトラリーも揃えました。
でも、実際に使ったかと言えば、ほとんど使っていません。割れたら大変だし、傷をつけたくないし、もちろん食洗機も入れられないので気軽には使えませんでした。
数が多いので、カップボードに入らないものは食器棚の奥に収納されたままでした。
今は、本当に気に入っていて、見て楽しめる食器以外は手放しました。金彩のないシンプルな白の食器は、普段使いに下ろしました。
宝飾類
正確には、私が買ったものではありません。母が自分で買ったり、祖母から受け継いだものです。
母やその前の世代の女性は、大きな石のついた指輪をよく付けていました。母もたくさん持っていて、娘たちに譲りたがっているのですが、私は元々指輪が好きでないうえに、大きな石のついた指輪をもらっても、つけて行く場所がありません。
私が母から譲られて使っているのは、本真珠のネックレスだけです。
妹たちも同様で、母が亡くなったあとは、宝飾類はほとんど手放すことになると思います。母には申し訳ないと思いますが、我が家は息子だけですし、受け継いてもらえる相手もいません。
私と同じような悩みを持っている友人がいたのですが、やはりすべて手放したそうです。
買った時は、それなりに高価だったと思うのですが、仕方ないですね。
マイホーム
いやいや、マイホームは一生ものでしょうと言われそうですが、建物は買っておしまいというものではありません。
家を手に入れた時は、これで安心みたいな気持ちがあったのですが、家を維持するのはなかなか大変でした。
我が家は築30年の戸建てですが、これまで2回のリフォームと外壁の塗装などで1000万近くかかりました。この先も修繕費などがかかるでしょう。
土地は、その時々の地価によって値段は変わるものの、ある程度の価値は残りますが、建物は一生ものではないとつくづく感じます。
家を維持するにはかなりのコストがかかります。住宅ローンを組むときは、維持費やリフォームのことまでよく考えて、無理のない返済計画にしないと、後々苦労することになってしまいます。
一生ものになったもの

普通のお気に入りが一生ものに
私が持っている「一生物」は、以前、「シニアミニマリストのアクセサリー」という記事でも紹介しましたが、腕時計とペンダント、そしてネックレスです。
もともと一生ものとして勧められたものではありませんでしたが、気に入って買ったものが結果的に一生ものになったという感じです。
シンプルなデザインだったから、ずっと持てたのだと思います。もしファッション性がもっと高いものだったら、年齢を経て似合わなくなったり、飽きてしまったかもしれません。
アクセサリーは、洋服と違いサイズが合わなくなることもありませんし、バッグのように痛むことがなかったのも、長く使っている理由かもしれません。
ただ、私にとっては一生物になりましたが、誰かに継いでもらえるかどうかは、まったく分かりません。
もっと年を取って使わなくなったら、処分することになるかもしれません。

不本意ながらの一生もの
私は、子どもの頃から収集癖があって、色々なものを集めていました。その結果、ずっと持ち続けてしまったものがたくさんあります。
ハンカチ・香水・レターセットなどです。場所を取らないものだったので、手放すきっかけがないまま50代になってしまったという感じでした。
ハンカチは使うものだけ残して処分、香水も気に入っているものだけ残して処分しました。レターセットは、友人に手紙を書くために使うので残しましたが、そろそろ使い切りそうです。
趣味のものを集めるのは楽しいですが、若い時ならともかく、シニア世代になったら、自分のコレクションをどうするのか、そろそろ考えておいたほうがいいと思います。

まとめ:「今、必要か」を見極めよう

一生ものと思った買い物でも、本当に一生持ち続けられたものは、私の場合ほとんどありませんでした。若い頃に、もっとモノを選ぶ目があればよかったのですが、本当に数々の失敗をしてしまいました。
もちろん、安いもので妥協して、結局後悔するよりはいいのかなとも思いますが、もっと深く考えればよかったと思います。私の場合、「使う愉しみ」より「所有する満足」の方を優先してしまっていたのが、失敗の原因でした。
品質の高い良質なものを大切に使うというポリシーはとても素晴らしいですし、私もそうしたいとはと思いますが、そのモノが自分に取って本当に必要なものか、ただの虚栄心や所有欲のために欲しいと思っているのか、よく見極めた方がいいです。
私も、これから先の人生は、「今、必要か」をめやすに、自分が気に入って使えるものを買っていこうと思います。
今回は「一生もの」の買い物について、私の経験を書いてみました。参考にしていただければうれしいです。
お読みいただき、ありがとうございます。アラカン主婦の霜月でした。