こんにちは。人生の秋を、自由に生きて行くためにコツコツと片づけてる霜月です。
ミニマリストと呼ばれる人々は、どうしてミニマリストとなったのか? きっと人それぞれの理由があると思います。
今回は、シニア主婦の私が、なぜミニマルライフを目指すようになったのかのお話です。
よろしければ、お付き合いください。
より多くより豊かに
霜月は昭和30年代生まれ。
1964年の東京オリンピックをかろうじて覚えている世代です。
高度経済成長時代やバブル時代を実体験し、「より多くのものを所有していること=豊か」だと信じて育ってきた世代でもあります。
私も10年ほど前までは、数えきれないほど雑多なものに囲まれていました。当時は、たくさんのモノを所有していることを自慢にさえ思っていました。
モノを見栄えよく収納したり、飾ったりすることに、多くの時間を割いていました。その中で、いつも使っているものなど、たぶん1割もなかったように思います。
何かを買う時に、1個だけということはなく、必ずといっていいほど予備を買っていました。合言葉は「念のため」。所有することに幸せを感じていました。
そして、何かにはまると、それに関するグッズや書籍、材料にお金をつぎ込んで、コレクションせずにはいられないタイプでした。しかも、保存用と飾るためのものとで、同じものを2個買っていました。
使うことより、所有することに満足を感じるタイプ。いわゆるコレクターです。
モノは増えるしお金は貯まらないし、今から振り返るとなんであんなに……と不思議に思いますが、当時はそんな生活に疑問を感じることはありませんでした。
より多くのモノを持ち、より豊かに暮らしたい。たくさん持っていることが豊かなこと。
モノを減らすなんて、考えたこともありませんでした。
収納術にハマる
とはいえ、多くのモノを所有すれば、それらを維持管理しなければなりません。
親の転勤のため、子供の頃から引っ越しが多かった私は、同じ家に長く住むという経験がありませんでした。
だいたい2~3年で引っ越しなので、その度に自分の学用品などを、親から渡された段ボールに詰めなければなりません。整理収納は必須でした。
特に父親は几帳面な人で、本や仕事の資料がとても多かったのですが、いつもきちんと整理整頓されていました。
そのせいか、散らかし屋にも関わらず、私も収納に工夫をこらすことが好きでした。
小学生の頃は、学習机の引出しの中を箱で区切って、集めていた消しゴムや鉛筆を、色のグラデーションをつけてきれいに並べ、満足していました。
ただし、見た目を整えただけで、それを使って勉強しようとは思いませんでした。
文房具を筆頭に、シール、レターセット、ハンカチなどを集めました。
年頃になると、アクセサリーをはじめとして、香水、レコードやCD、手芸の材料、好きなバンドのグッズなど、コレクションはどんどん増えて行きました。
結婚してからは、狭い部屋を自分の好みの雑貨で飾ったり、模様替えをすることに楽しみを見出しました。
見せる収納にはまっていたのもこの頃です。思い立ったらやらずにはいられない性格なので、帰宅した夫が、驚くことも度々でした。
結婚して10年後、2DKの狭い社宅から、収納たっぷりの4LDKの戸建てに引っ越し、コレクション癖&収納&インテリアの趣味に拍車がかかります。
当時、「モダンリビング」などのインテリア雑誌を読むのが好きだったので、私もセンスのいいお家に住むキラキラ主婦を目指し、ますますお金と労力をつぎ込みました。
ただ、こだわっているモノ(主に趣味関係)は、それなりに管理できていましたが、自分にとって興味のないモノは、顧みられることもなく、ひっそりと家の中に堆積していったのです。
モノが凶器になる
そんな所有欲のカタマリだった私が変わったのは、東日本大震災でした。あの震災を経験した時に、自分の中で価値観が一変したのだと思います。
あの日、二階にいた私が、大きな揺れがおさまったあと、恐る恐るキッチンに行ってみると、長年買い集めていた洋食器が食器棚から落ちて、半分ほど割れていました。
悲しいとか残念と思う余裕はありませんでした。
ただただ怪我をしないように、割れたグラスや食器を拾い集めました。
キッチンの吊戸棚にしまってあった土鍋が落ちて、割れていました。頭に当たっていたら、どうなっていたでしょうか。
テレビ台やリビングボードも、元の場所から移動していました。照明のガラス製のシェードが余震のたびに揺れるので、お気に入りでしたが怖くて外しました。
幸いなことに我が家は大きなタンスがなかったので、タンスが倒れたりはしませんでしたが、万が一タンスが倒れていたらと思うと、ぞっとしました。
あの震災で、家具やモノが凶器になるのだと実感しました。
命を守る片づけ
震災で、我が家はそれほどの損害は被りませんでしたが、これを機会に築25年以上経ち古くなっていた水回りをリフォームすることになりました。
キッチンのものをすべて別の部屋に移したのですが、あまりのモノの多さに、自分でも驚きました。
最近、家のモノを全部出して要不要を見極めるという片づけ番組がありますが、あんな感じです。(普段はテレビを見ない霜月ですが、お片付け番組だけは見ます)
はじめての大断捨離大会が始まりました。キッチン用品の半分以上を処分したと思います。
震災の体験を生かし、重いものは高い場所に収納しないようにしました。鍋類も、全部しまうようにしました。
これを機会に、家具の配置も見直しました。部屋から玄関に向かうまで、災害時に障害となるものがないようにしました。
玄関近くに置いていたミニチェストや傘立て、スリッパラックなどを手放し、壁にかけた額や鏡も外しました。
私はインテリアのために置いているものが多かったので、それらがなくなっても特に生活に困ることはありませんでした。
かえって手入れをする手間が省け、掃除も楽になり、なぜこんなにこだわっていたのだろうと不思議に思うほどでした。
たぶん、玄関には傘立てを置くべき、スリッパラックを置くべき、額を飾るべき、と思い込んでいたのでしょう。
ミニマリズムに出会う
水回りのリフォームが終わっても、収納熱は続きました。
やましたひでこさん、こんまりさんなどの片づけ本、収納上手な方々のブログを巡回し、いかに効率的に美しく収納するかを学び、実践しました。
無印良品やニトリの収納用品を買いまくり、白いケースがずらりと並んだ収納をみて、悦に入りました。もしかしたら、無印の収納ケースを並べるために、収納するものを探していたのかもしれません。
その頃の私にとって、整理収納はインテリアと同じような感覚だったのだと今なら分かります。断捨離の本は読んだけれど、本来の意味に気づいていなかったのですね。
そんなときにネットで出会ったのが、ゆるりまいさんの「なんにもないぶろぐ」でした。
まいさんはミニマリストを名乗ってはいませんでしたが、必要なモノだけ置いてあるシンプルな家に衝撃を受けました。「収納はこうあるべき」という自分の常識をひっくり返されたように感じました。
たぶん、その頃、ミニマリズム、ミニマリストという言葉を知ったように思います。
我が家の収納棚にはぎっしりと収納ケースが並んではいますが、その中のモノはきちんと使われていませんでした。
きれいにおさまっているし、一応どこに何があるかも分かってはいる。ただ、中ではモノの大渋滞がおきていて、使われないモノたちが大威張りで場所を塞いでいたのです。
散らかっている部屋も困りものですが、まったく使われていない死蔵品(古い取説など)が美しく収納されているのは、目に見えないだけにやっかいです。
収納はできていても、整理できていなかったのです。
少ないからこそ豊かに暮らせる ~Less is more~
ここから、2回目の断捨離大会が始まりました。
モノが多すぎるから循環しないということに気づいた私は、使うモノを残して使わないモノを処分しました。
食器はさらに半分くらいに減らし、着ない洋服もほとんど手放しました。私の部屋からは、ドレッサー、本棚、整理棚がなくなりました。
自分が管理している範囲だけでしたが、かなりスッキリした部屋になりました。
夫と息子はミニマリストではないので、家族の持ち物の管理はそれぞれに任せていますし、勝手に処分することはしていません。
でも、モノが少なくなったおかげなのか、息子がキッチンに立ち、料理を振る舞ってくれたり、夫が食事の片づけをやってくれるようになりました。
どんなに整然と収納されていても、以前はモノが多すぎて、どこに何があるのか、主婦である私にしか分からなかったのです。
一緒に暮らしているのに、家族の誰が見ても分かるような収納でなければ意味がありません。
今は、モノの渋滞もなくなってきたし、自分に何かあった時に、家族が困らず生活できる程度には片付いていると思います。
私は、シニア世代こそモノの少ないミニマルな生活を、と思います。モノはあの世には持って行けませんし、残された家族も困ります。高齢になって施設に入る時は、少しのモノしか持っていくことができません。
たくさんのモノを所有する。それが悪いことだとは思いませんが、私には必要ないものかなと思います。
生きて行く上で必要な数に絞れば、モノに振り回されたり、モノの命をムダにすることもありません。
多くのモノを持つよりも、必要なものと本当に大切なものだけの方が、より心豊かに暮らせるということに、私もようやく気づきました。
今さらですが、ミニマリズムは、単なる片づけ収納術ではなく、ライフスタイルです。
モノだけでなく、時間や人とのかかわりなど、自分の生き方を見直しながら、私もストレスフリーで心豊かな生活をしていきたいと思います。
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よろしかったら、またご訪問くださいね。アラカン主婦の霜月でした。